常陸坊と不動尊

常陸坊と不動尊

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額縁入り

絵画の種類

絵画の種類···日本画 形式···額縁入り 青森ねぶた師穐本鴻生師作 物語 平安時代の初期、名僧最澄の弟子に快賢という僧がいた。あるとき快賢は最澄の彫刻した不動明王を背負い、当時奥州で反乱を起こしていた蝦夷調伏のため東国に向かい、常陸の国にいたった。そして常陸国の今宮大杉大明神と所持の不動尊を合祀して安穏寺と称した。快賢は安穏寺に留まって、国家安穏の護摩修行に勤めていたが、そのうち奥州も平定されたので、安穏寺は広く里人の尊信を集めるようになった。  その後、時代は下って平家滅亡後の文治五年(一一八九年)の秋、清悦大法師と称する行脚僧が奥州から来て、安穏寺に滞在した。清悦は神島詣での海上で嵐を沈めたり、悪疫を押え病魔退散させるなど幾多の奇跡を現したので、寺僧も里人も深く清悦大法師を崇敬した。ある時、安穏寺の本尊不動明王の掌握する利剣が紛失するという事件が起こった。寺僧が驚いて早速清悦大法師に相談すると、大法師は笑いながら、 「何も心配する事はない」  と言いつつ、自ら本尊の扉を開けたところ、利剣はいつの間にか不動明王の手に戻っており、しかも傍らに見たこともない像が置いてあったので、寺僧はますます驚き、訳を尋ねると清悦は、 「利剣はわしがしばらく拝借していた。また、この像はわしが自ら刻んだわが像。わしは明朝この寺を去る事にしたのじゃ」  と説明した。この噂が伝わると、里人達は翌朝早くから安穏寺に詰め掛けて来た。清悦は香を焚き静かに読経していたが、やがて五彩の雲が天下り、清悦を乗せて大杉の梢の上にたなびいたと見る間に、清悦は、不動明王の姿となった。  「われは、大杉明神なり。平家の横暴を憎み、仮に常陸坊海存となって源義経を助け、平家を討ち、世を源氏のものとせしが、その義経も兄頼朝のため奥州に非業の最期を遂ぐ。われ自らの像を刻み、安穏寺に納め、永くこの地にありて庶民の厄難を救い、諸病を癒し、明神を信ずる者には禍を転じて福となさしめるであろう」  といい終わるや、大笑一声してたちまち消え失せた。

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